欄間イメージ

諏訪大社は、十八世紀頃から諏訪に居を置き、各地の社寺建築・社寺彫刻を手懸けた立川一門により建築されました。 初代 立川和四郎富棟は、幕府御用達建築彫刻師 立川小兵衛富房の元で修行し安永九年(1780年)に諏訪大社 下社秋宮 幣拝殿を手懸けました。また、富棟の長男 二代目 立川和四郎富昌は、富棟の孫 三代目 立川和四郎富重らとともに、諏訪大社 上社 幣拝殿も手懸けています。

「富士山と松の欄間  作者:立川湘蘭(松代)」

女性としては珍しい立川三代目湘蘭の作品。
『湘蘭と立川流の関係』
・初代:立川和四郎富棟
・一代目:立川和四郎富昌 ---立川専四郎富種(富昌次男)---立川松代(湘蘭/富種の娘)
・三代目:立川和四郎富重(富昌長男)
三代目富重 富種 湘蘭らにより手がけられた代表作が、松本市里山辺にある須々岐水神社の山車(だし)9台のうちの「薄町」の彫刻。
富士山と松の欄間は、諏訪大社の彫刻を手掛けた立川流の流れをくむ「湘蘭」により作成された事が伺えます。
残念ながら作成年等は不明。

富士山欄間イメージ(立川湘蘭作) 松欄間イメージ(立川湘蘭作)
 

「書院欄間  作者:立木種清(立木音四郎)」

下諏訪の生んだ名建築家。
天保13年(1842年)11月17日生まれ、明治43年(1910年)10月14日没。
諏訪大社秋宮の北にあたる小湯の上出身で、本名を立木音四郎と言います。 二代目立川和四郎富昌の弟子となり、建築・彫刻を学びました。
その後下社の大祝金刺信古は、彼のその才能を愛で種清という名を与えました。
立川二代和四郎とその子専四郎、そしてこの音四郎の三人を、
当時の人々は立川の三四郎といってその技を称えたそうです。

書院欄間イメージ(立木種清作)